
※後半に一回目の経験についても書いてますので、超長い投稿です笑 でもヴィパッサナー瞑想やそもそも瞑想に関心がある人には参考になるかもしれません。実はどんな人にも参考になることが書いてあるかもしれません。なんてったってブッダが悟りをひらいた瞑想法なのですから😆 良かったら読んでみてください。
6/29〜7/10の予定で二度目のヴィパッサナー瞑想の修行に行ってきます。途中の10日間、朝4:00起床、夜9:30就寝。
毎日11時間・・・たっぷり瞑想する時間があります笑
滞在中デジタルデバイス一切禁止なので、その間は音信不通となります😊
ちなみに前回は最終日にスマホを返してもらって操作をしていたら・・・
指が攣りました笑
10日間スマホいじらないと、そんな変化も起こるんですね笑
また書籍や筆記用具も禁止です。他の参加者との会話はもちろん、目を合わせたり、ジェスチャーによるコミュニケーションも禁止です。その意図は徹底的に自分の内面だけと向き合う環境に身を置くためです。
食事はベジタリアンのみです。ビュッフェスタイルなので、乳製品を断ってヴィーガンにすることも可能です。もちろんアルコールなどは飲めません・・・
2回目以上の参加者は”Old Student”と呼ばれ、食事は朝と昼のみで、夕食はありません。初参加の”New Student”は夕食にフルーツだけは食べることができます。
ちなみに、前回参加の時、合宿三日目ころから・・・、
「💩」がまるで小学校低学年の子どものような美しい「💩」になり、毎回一人、扉の中で生まれたばかりの「💩」を眺めながら、そのスムースすぎる余韻に浸りながらニヤニヤと感動していました笑
昨年末に初参加したときは、自分の部屋で瞑想をしても良い時間帯は正直に言うと・・・疲れすぎて寝転んで瞑想し、眠ってしまうときも多々ありました😆
今回はどれだけできるかな〜
一回目も衝撃の体験でしたが、二回目にはどのような気づきがあるのか・・・・楽しみです。
以下長いですが、一回目の体験(毎日したことや、そこからの気づきなど)を書きます。
■参加しようと思ったきっかけ・目的
まず、そもそもなぜヴィパッサナ瞑想を体験しようと思ったのか?
友人の今泉さんにその存在を教えてもらいました。あまり詳しくは聞かなかったですが、とにかく瞑想ばかりする。デジタルデバイス禁止で本や筆記用具も禁止なのがきつかったって話を伺ってた程度です。その上で・・・
✔デジタルデバイス10日間使わない。ベジタリアンの食生活をするだけでひたすら瞑想するとしたら、心と体のデトックスがすごいレベルできると思った。これだけでも大きな価値があると確信。
✔ブッダが悟りを開いた瞑想ってどんなのか?純粋に関心があった。
✔「ヴィパッサナー」の言葉の意味は「あるがままを観察する」ということ。コーチとしても一人の人としても「ジャッジをせずに人と関わる」「相手が誰であっても愛と優しさをもって接する・相手によって態度を変えない」こんなことを大切に生きてきているなかでも、ジャッジしてしまっている自分に気がついたり、もしかしたら、気づきもしないでジャッジしているかもしれない。そんな自分の心の深いところを探求し、もしかしたら「ジャッジ」の原因になっている様々な拘りや執着を手放せるかもしれないと思ったから。
✔「ジャッジしている自分」にもし気づくことができたら、これまでも自分自身コーチングを受けながら手放してきました。でも、無意識にジャッジして反応している場合は誰かに言ってもらうまで気がつくことができません。ヴィパッサナー瞑想をしたら、もしかしたらそういう心の深い無意識のレベルまで綺麗にすることができるかも?と思った。たぶん「悟り」というのはそういうこと・・・つまり、あらゆる執着を手放し、全てのことをあるがまま観察し、受け容れることができる意識状態なのかもしれないと感じているので。
✔常に幸せ、ニコニコ穏やかな心でいたいから。その助けになるかも? そして、もし、世界中の人が常に幸せで穏やかな心でいることができたとしたら、それこそが世界平和なのだと思うから。自分がまずそうなる。
■そもそもヴィパッサナー瞑想とは?
ブッダが悟りをひらいた瞑想法、生き方の指針
「ヴィパッサナー」とは「あるがままを観察する」という意味
参加無料。全てボランティアでなりたっており、宿泊施設や食材などにかかる実費は過去に参加した人たちだけから受け付ける寄付で成立しています。それでありながら、現在世界200箇所以上にヴィパッサナー瞑想の専用センターがあります。アメリカは30箇所です。ちなみに日本でも大人気でなかなか予約が取れないのに2箇所にしかないのは、日本全体の寄付文化のなさ、お金に対するとても誤った認識が原因だと私は思ってます。
「サピエンス全史」という本がベストセラーになりましたが、その著者の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、ヴィパッサナー瞑想をはじめていなければ、サピエンス全史は生まれなかっただろうと語っています。
■10日間の流れ
実は10日間の修行が非常に良く組み立てられていたことに参加してみて気づきました。ただ闇雲に瞑想するのではないのです。
なお、瞑想の指導は、すでにこの世をさられたS.N. Goenkaという方の講義の動画を視聴したり、音声で指導を受けます。アシスタントの先生が男女一人ずついて、毎日質問などを受付たり、一日ほんの一言ですが、指導されたポイントができているかどうかを聞いてくれます。
①1日目は、ひたすら鼻の呼吸を観察します。鼻の穴を通る空気の流れを感じます。呼吸というのは面白いもので、意識的にもできるし、無意識にもできますよね。意識と無意識の境目にある機能です。できるだけ、無意識の呼吸をして観察します。難しいですが笑
②2日目は、鼻と鼻の下から上唇の上のエリアの皮膚に沸き起こる感覚をただひたすら観察します。温かい、冷たい、湿ってる、乾いている、かゆい、いたい、・・・などです。見つけるのではなく、ひたすら観察し、感じたことをありのまま、心穏やかに観察し、受け容れます。英語で言うと”Perfect Equilibrium”という表現をしていました。「完全なる心の平穏」です。そんな心の状態で、全てを観察するのです。また、繰り返し言っていたのが、「全ては移ろいゆく」ということ。諸行無常ってそんなところから来た表現なのかも? 全てはエネルギーが動き続けて、移ろいゆく。。。素粒子レベルでは絶え間なく動き続け、、、細胞などだって何年かで全部入れ替わる。。。もちろん最後は体も滅び、宇宙に帰っていく。。。そんな移ろいゆく現実を観察します。
③3日目は、さらにエリアが小さくなり、鼻の下から上唇の上のエリアの皮膚だけを観察します。ちょび髭を生やすエリアですね。これを丸一日していると、さすがに感覚が研ぎ澄まされてきます。
④4日目、なんとこの日になってようやく「ヴィパッサナー瞑想」を学びます。最初の3日間は4日目に向けての準備期間だったのです。鼻のエリアだけに集中していた観察のエリアを、頭のてっぺんからつま先まで、全部隈なく観察していきます。観察する際のポイントは3日目までに学んだ通りです。つまり、「完全なる心の平穏」の元、体に沸き起こっている感覚をあるがまま観察します。ものすごい時間がかかる作業ですが、じっくりと部分部分に直径5センチメートルのスポットライトをあてているような感覚で観察しました。
そして、この日に衝撃的な指示が出されました。毎日3回ある、参加必須の1時間のグループ瞑想。この1時間の間、一切体を動かしてはいけないというのです。
初めて聞いたとき、「え?冗談っしょ?」って思いました。瞑想の座り方(あぐらをかくような)で座っていたら、当然足はしびれてくるし、背中や腰も痛くなってくる。これまでの3日間、5〜10分おきに体を動かしていました。それを動かしてはならないというのです。
もちろん初めての1時間の瞑想では、動かないでいることはできませんでした。痛みに耐えきれずに動いてしまったのです。この日の3回のグループ瞑想では、1時間動かずに座り通すことはできませんでした。たしか、3回目のグループ瞑想のときでも1時間で5回くらい動いてしまったと記憶しています。
⑤5日目、4日目同様にヴィパッサナー瞑想の修行を続けます。実は昼の時間にアシスタントの先生に質問できる時間があります。それまで質問はしないで来ましたが、あまりに耐え難い痛みに耐えている瞑想をしていて、本当にそれに耐えることが大事なことなのか? そもそも自分は正しい道を進んでいるのか?体に沸き起こっている感覚を観察しなさいというはずだけど、痛い箇所に意識が集中してしまって、他の箇所の観察どころではなかったからです。
先生の答えは、
・痛みがあったとして、意識がそこに向かってしまっていても仕方ない。でも少しでも、今観察しようとしているエリアに意識を向けること。例えば9割の時間、痛みに意識が向かっていたとしたら、それを徐々に8割、7割と減らしていく。。
・1時間動かないでいられなかったら、耐え難くなったら、動いても良い。でも、そこで辞めてしまわずに、再び動かないでやってみる。動かないでいられる時間を徐々に長くしていく。。
・痛みを感じていたとしても、そのこと自体を心穏やかに観察する。全ての感覚を、あるがまま観察することがヴィパッサナー瞑想のポイント。良いも悪いもなく。もっと欲しいも欲しくないもない。
修行中、「心頭滅却すれば火もまた涼し」って言葉が何度も頭をよぎりました。どんなに苦痛と思われることも、実は心穏やかに観察することで、苦痛ではなくなるのかも???
そんなヒントを頂いた上で1時間の瞑想をしていたところ、
5日目の3回目のグループ瞑想で、地獄のような痛みを感じながらも、なんとか1時間、初めて動かずに座り通すことができました。最後の20分くらいは激痛に耐えながら、早く終わって欲しいってことしか考えてなかったかも。。。。 しかし終わったあと、足をくずして苦痛から開放されたとき、これまで感じたことのなかった解放感を感じました。。。。そして、そこでさらに自分なりに悟ったのは、この解放感すら、心穏やかに観察することが大切ということ。解放感を気持ちの良いもの・・・もっと欲しいもの・・・などと受けとめてしまうと、そこに渇望や執着が生まれるのかも・・・そんなことを感じたのです。
⑥6日目、3回の1時間のグループ瞑想、全部動かずに座り通すことができました。最初の2回は激痛を耐えながらの1時間でした。 しかし3回目のグループ瞑想の時、信じられないことが起こりました。痛みは確かに感じているのですが、大丈夫なんです。なんだか体から切り離されているような、痛みを感じているはずなのにそれをただただ心穏やかに観察している自分がいました。「痛み」を嫌なものとして捉えていない。ただ「痛み」という感覚がそこにある・・・そんな感覚でした。そしてその時「あ、俺もう、このままずっと座っていられる・・・」って感じました。
⑦〜⑩7日目から最終日までは、朝4:30からの個別の瞑想(部屋でやっても良いし、グループ瞑想部屋でやってもよい)の時間は誰よりも早くグループ瞑想の部屋に行き、ひたすら座りました。
■10日間で得られたものとは?
この10日間で何が得られたか?一言でまとめるのは難しいのですが、あえて書くとすると・・・
・あらゆることをジャッジせず、あるがまま観察する力が飛躍的にレベルアップした感覚があった。当初の目的をはるかに超えるレベルで達成できた感覚。もちろん、それは「感情のコントロール」も非常に高いレベルでできるということ。なぜならばそもそもジャッジをしないので怒りもしない。かりにジャッジをしてしまったとしても、そんな自分を客観的に観察する力がついているので、そんな自分の心を静め、「反応しない」という選択ができる。
・過去の体験の中で、その当時ネガティブに捕らえていたものを、心穏やかに受けとめ直すことができた・・・つまり、その当時はその体験をネガティブな感情で捉え、反応していたものが、瞑想中にその体験を頭の中で追体験し、ただ、その体験をあるがまま心穏やかに観察することで、その時に生まれたネガティブな感情が昇華され、消えていくような体験ができた。そこに関わっていた人全てが、それぞれみんなベストを尽くして生きていたんだって腹落ちできた。多くの場合で涙がいっぱい溢れてきた体験だった。本来、そんなことは瞑想中に考えることじゃないのでしょうが、そんなことを考えている自分に気づいていたので、そんな自分を受け容れ、あるがまま観察していた感覚です。
■ヴィパッサナー瞑想の教え
ヴィパッサナー瞑想で教わる内容は、実はYouTubeで全部見ることができます。前述の通りすでにこの世を去ったS.N. Goenkaさんという方が過去のヴィパッサナー瞑想で教えている様子を動画で記録したものをみんなで見るのです。”goenka vipassana japanese”なんかでYouTubeで検索すれば全部出てきますし日本語になってます。ただ、これを聞くだけではほとんど意味がなくて、瞑想を実践することが大事です。Goenkaさんも繰り返し述べられていましたが、自分で深く体験し、実践し、自分で感じる以外に悟りへの道はないと。。。
前回の初めての体験を通じて、過去の体験から来ていた心の中のシコリのようなものが全部取り払われた感覚がありました。そんなシコリが全部とれると何が残るのか?
「愛」しか残らないんです💖
そもそも人の本質、世界の本質は「愛」なんだって私は今はかなり腹落ちしてます。全員無限の愛で、そのほんの一部が体という形で表層化しています。我々一人ひとりが生きているのは、花が咲いているのと何も変わらない。花が枯れていくように我々の肉体もいずれは枯れていきます。花には執着もネガティブな体験を根に持つことなんかもないので、我々人間が見ても愛にしかみえません。そんなことが人間にだって可能なわけです。人間も花になれます。木になれるし森にも山にも海にも星にもなれる。
今回の2回目、どんな新たな体験ができるのか?どんな新たな気づきがあるのか、めちゃくちゃワクワクしています。
ヴィパッサナー瞑想の教えに、あらゆる苦悩は「サンカーラ」と呼ばれる、不幸の種のようなものが原因で沸き起こるとありました。過去の業だとかカルマだとかそんなキーワードにも関連するのかな? 世界は原因と結果の法則、作用反作用の法則、で動いてる。ネガティブなことを思えば、それがサンカーラ・不幸の種となって必ず新たな不幸を生み出します。逆に常に穏やかに幸せなことを思っていれば、新たに生み出されるものも幸せなことばかりになっていく。。。 ヴィパッサナー瞑想をすることで過去に撒いた不幸の種を一気に刈り取ることができる感覚があります。そして、その後の人生で常に「今ここ」を生き、「幸せの種」を撒き続ける心と行動の選択をするのです。
以上ヴィパッサナー瞑想の第一回の時の体験談、そして第二回目参加予定のご報告でした⭐ ここまで読んでくれる人は相当少ないでしょうが、読んでくれてたとしたらありがとうございます😆 きっとサンカーラが減って「幸せの種」が撒かれたと思います笑
小野が日々の経験(コーチング、リーダーシップ研修、シリコンバレー教育研究会等)を通じて学んだことや気づき、そして日頃大切にしている考え方などを不定期に分かち合います。皆様の人生をより素晴らしいものにしていくための参考になればと思います。
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心の平穏、幸せに向かうために、小野が最も参考になると思う本の一冊「ニューアース」
「ニューアース」・・・あるがままを受け容れる・意識の進化・変容を促すことができる良著です。