
記事:小野孝太郎(ライティング・ゼミ日曜コース)
「先生、俺のこと全然分かってねえよ」
当時担任していた小学三年生の子どもに言われた言葉だ。本当にショックだった。毎日全力で子どもたちと向き合い、良い人間関係を作ろうと必死に努力していたつもりだった。しかし彼が感じていたことは冒頭の台詞の通りだったのだ。
私は1996年26歳の頃にアメリカに移住した。ソフトウェアエンジニアとしてシリコンバレーの大手企業で働いていた。10年ほど前から教育に関心を持つようになり、6年前に会社を退職した。残りの人生でどのように教育に関わるかを考えていた時、教員免許がなくても教師になることができる道があることを知った。Teach For JapanというNPOがそのプログラムを提供している。2年間限定だが公教育の現場で教師になることができる。社会を根底から変えるには公教育を変えなければならないと感じていたため、私はTeach For Japanを通じて教師になることに決めたのだ。
教育に関心を持った理由について今回は詳しく述べないが、端的に言えば、私がしていた仕事は世界平和に直結していないと悟ったからだ。富が富裕層に偏在し、その傾向が拡大しているのは周知の通りだ。物質的・金銭的な富の総量は世界的に増えているが、「一人あたりの心の豊かさ」というものがもし測れるとしても、私には上がっているとは思えなかった。本当の持続可能な世界平和や世界中の人の幸せを考えた時、教育こそ直球ど真ん中のストライクだと思ったのだ。
教師になってしたかったことは何か? 子どもたちが生まれ持った無限の才能を存分に発揮し、この世界での一度きりの人生を幸せに楽しみ尽くす。そんな人生を送ることができるような考え方の土台を作ることだった。情熱を持って子どもたちと関わっていれば必ずその気持ちは届くと思っていた。
しかし私は大きな勘違いをしていたのだ。
私が届けたいことと、子どもたちが私に期待していたことには大きな乖離があった。私は子どもたちの可能性を信じ、情熱を持って関わることで熱量が届くと思っていた。それはたぶん間違っていない。そもそもその情熱がなかったら教師でいる資格はないと思う。
しかし子どもたちがそれ以前に求めていたこと。それが冒頭の台詞だったのだ。
「先生、俺のこと全然分かってねえよ」
つまり、彼が私に求めていたことは、彼の言葉を裏返せば、
「自分のことを分かって欲しい」
ということだった。
私は子どもたちのことを分かろうとしているつもりだった。一人ひとりの個性を理解し大切に育てたいと思って接していた。でも、彼はそう感じていなかったのだ。
どうして良いか分からなかった。自分なりに全力で関わっているつもりだったから何をどう変えたら良いか毎日試行錯誤だった。
教師生活二年目のある日、校長先生が子どもたちとの関わり方で悩んでいる私に以下の問いを投げかけてくれた。
「小野先生、明日転校生が来たとしますよね。その子に全部教えられますか?」と。
それはつまり「学校に着いてから帰るまでの全ての手順を教えられるか?」ということだ。
その日の放課後、子どもたちの動きを思い出しながら手順を全部書いてみた。しかし、ところどころ私が分からない手順があることに気がついた。そこで翌日に子どもたちの動きを観察し、全部書きだしてみた。
その結果何が起こったか?
私が認識する世界が一変したのだ。
「子どもたちが出来ていること」が目に飛び込んでくるようになった。
それから私は子どもたちの動きを実況中継のように言葉にして伝えるようにしてみた。すると学級の状態がみるみる良くなっていき、子ども同士の喧嘩などのトラブルも減っていったのだ。
私はそれまで必死に「どうしたら面白い授業をしてあげられるか?」「どうしたら子どもたちが主体的に行動するようになるか?」「どうしたら子どもたちの可能性を広げてあげられるか?」など、決して間違ってはいないであろう問いと向き合っていた。
しかし、私がそれ以前に徹底的に問わなければならなかった問いは
「どうしたら子どもたちの承認欲求を満たしてあげられるか?」
だったのだ。
承認欲求が満たされないと何が起こるか? 良い行いで満たされなければ、悪い行いをしてでも誰かの注目を浴びようとしてしまうのだ。皆さんの周りにも過去や現在で思い当たる人がいるのではないだろうか。
これは学校で起こっていることだけではなく社会のあらゆる場で起こっている。学校であれば喧嘩・イジメ・不登校などが増えていく。会社であれば離職者が増えたり、精神的に潰れてしまう人が出てくる。自殺をしてしまったり犯罪を犯してしまった人の承認欲求はどれだけ満たされていただろうか?
最後に私からの提案です。今日、今から相手によって区別せず、関わる人全ての承認欲求を満たそうとしてみませんか? 例えば、今まで挨拶していなかった人に挨拶してみる。お店で店員さんに「ありがとう」と言ったことがなければ言ってみる。今までイライラしていたのを手放して、相手を許してみる。そんな小さな行動が誰かを幸せにし、時には心に火をつけたり、命だって救うかもしれない。そして結局自分も幸せにします。そんな人が世界中に溢れれば「一人あたりの心の幸せ」は一気にあがっていき世界平和に近づくと思うのです。
≪終わり≫
※こちらの記事は天狼院書店のホームページにも掲載されています
http://tenro-in.com/mediagp/183187
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