“夢のない会社員”がトライアスロンで見つけた「人生の問い」──私の心に火が灯るまで

“夢のない会社員”がトライアスロンで見つけた「人生の問い」──私の心に火が灯るまで

将来の夢は「満員電車に乗りたくない」「毎週ゴルフがしたい」だけだった

アメリカのシリコンバレーに本社を持つ、オラクルというIT企業をご存知でしょうか? ビジネス向けのソフトウェア開発会社なので、一般にはあまり知られていないかもしれませんが、日本で第2位のソフトバンクと並ぶ約18兆円の時価総額を誇る国際的な大企業です。私はかつてそこで、20年ほどエンジニアとして働いていました。

「海外の有名なIT企業で働いていたなんてすごい」と思う人もいるかもしれませんが、正直、高い志があって海外で働くようになったわけではありません。学生時代の私は、恐ろしいほど無知で、単純な人間でした。

大学ではコンピューターの勉強をしていて、修士課程まで進みましたが、卒業後にこれといってやりたい仕事はありませんでした。そんな私が就職活動で望んでいたことは、ただ二つ。

「満員電車に乗りたくない」「毎週ゴルフがしたい」

それだけが当時の“夢”だったのです。「外資系企業のほうが“夢”が叶いそうだ」という理由で、私は日本オラクルに入社しました。

入社3年目にして念願のアメリカ勤務が叶うと、待っていたのは思い描いた生活でした。満員電車に乗る必要はないし、ゴルフも毎週できる。社員はみんないい人で、「絶対に日本に帰りたくない」と思いましたね(笑)

当初2年間の予定だった出向期間を終えると、オラクル本社への転籍を希望し、それから45歳でオラクルを退社するまでずっと、アメリカでの生活を送りました。

このように、驚くほど低い志から私のアメリカ生活は始まったわけですが、仕事はものすごく頑張りました。なぜならオラクル本社に転籍した以上は、成果が上げられなければクビになってしまうから。日本に帰るのだけは、絶対に嫌だったんです(笑)

働きぶりが認められ、転籍してから1年後に、オラクルの中でも中核的な製品であるデータベースの開発チームのマネージャにスカウトされます。

最初はそこで自分が通用するのかとても不安だったのですが、何か一つの分野だけでも世界一になりたいと思い取り組んできた結果、パフォーマンスの専門家としてそれなりに名の知れた存在になることができました。

いつかこの会社を去ることになるなんて、私自身が一番、予想していませんでしたね。

「人生最高の日と人生最悪の日をいっぺんに味わえるのよ」

同僚から思わぬ誘いを受けたのは、30代も終盤に差し掛かった頃でした。

「会社のジムでエアロビクスのクラスがあるんだけど、一緒に参加しない?」と同僚に声をかけられたのですが、当時の私はゴルフに夢中だったので、エアロビクスへの興味はゼロ。

何度か断ってはいたものの、繰り返し誘ってくださる方だったので、ちゃんと断る口実をつくるために、一回だけ参加しました。そしたら、これがめちゃくちゃ楽しくて(笑)

もちろん、筋肉痛で体はバキバキです。でも、それを上回る楽しさがあったので、その日から毎日何らかのクラスに参加するようになりました。

そしてある日、自転車のクラスに参加したときのこと。先生が「アイアンマンという競技をやっているの」と言ったんです。

アイアンマンとはトライアスロンの一種。3.8km泳いだ後に180km自転車を漕ぎ、最後にフルマラソン走るという過酷な競技です。それを聞いて「あり得ない……!」と驚いている私に、先生はこう続けました。

「でもね、人生最高の日と人生最悪の日をいっぺんに味わえるのよ」

その瞬間、私の中にトライアスロンへの興味が芽生えました。人生最高の日と人生最悪の日をいっぺんに味わうって、どんな感じなんだろう? この先生は一体どんな経験をしたんだろう? 「難しいかもしれないけれど、やってみたい」。素直にそう思ったのです。

とは言っても、どの種目も満足にできない状態ですから、まずは自分がどれだけ動けるのか測ってみようと思い、万歩計を装着しました。すると、歩数が増えるのが楽しくて、自然と走るようになり、エアロビクスに初めて参加した4ヶ月後にはハーフマラソンの大会に出場し、その3ヶ月後にはフルマラソンを完走しました。

マラソンは何とかなりそうだ──。残る競技は水泳と自転車です。水泳は会社のジムにあるプールで練習したり、サンフランシスコのアルカトラズ島から2.4kmを泳いで渡るイベントに参加したりして、自信をつけました。自転車も競技用のものを買って練習し、ついに全ての準備が整います。

そして私は、満を持してアイアンマンの大会にエントリーします。エアロビクスのクラスに初めて出た日から、2年後の出来事でした。

ついに迎えた本番。スタートとともに泳ぎ出し、水泳も自転車も何とかクリア。そしてフルマラソンを走り始めると、思いのほかサクサクと前に進める。

「あれ、思ったより全然疲れてないぞ…!」

そう浮き足立ったのもつかの間。走り始めて10kmを過ぎた地点で、急に足が鉛のように重くなりました。

フルマラソンでは「35kmの壁」という、足が動かなくなる現象が起きることがあるのですが、まさか10km地点でこんな状況になってしまうとは……。

そこから先は地獄でした。苦しいけれど、一歩一歩進むしかない。重い足を引きずるように進みながら、こう思いました。「これが人生最悪の日か…!」と。そして何とか走り抜け、ゴールを切った瞬間、今度は正反対の感情が体中を満たしました。

「今日は人生最高の日だ!!」

一緒に完走した友人3人と、次のレースに向けた展望を語り合っていました。。それから4年間、私は毎年トライアスロンの大会に出続けたのです。

人生は問いで変わる。「どうすれば、未来を描く力を身につけられるだろう?」

プライベートではトライアスロンに没頭、仕事もやりがいがあって面白い。そんな充実した日々を過ごしていた私が、なぜオラクルを退職することになったのか。きっかけは、このトライアスロンだったのです。

トライアスロンのレースは長時間に及びます。十数時間もの間、ずっと自分との対話が続きます。いつも通り自分と向き合いながら走っていると、ある一つの問いが、ふと頭の中に現れました。

「自分は今、本当にやりたいことをやっているのだろうか?」

──その答えは「No」だと、わかっていました。満員電車に乗りたくない、毎週ゴルフがしたい。そんな“夢”は、26歳のときにとっくに叶っていましたから。

じゃあ、私はいま何のために働いているのか? やるべきことは、他にあるんじゃないのか?

レース中どんなに考えても、その問いに答えを出すことはできませんでした。いつか向き合わなければいけないのに、ずっと避け続けてきた問い。ついに私は、一つの結論に辿り着きます。

私には、未来を描く力がない。

そのことを、認めざるを得ませんでした。なんてことをしてしまったんだろう……。全身から力が抜けていくようでした。

そして、後悔と同時にこうも思ったのです。「今からでも、未来を描く力をつけよう」。

振り返ってみると、それまでの私の人生の「問い」は、本当にくだらないものでした。

「どうすればゴルフが上手くなるだろう」
「どうすれば楽してお金を稼げるだろう」
「どうすれば早くリタイアできるだろう」

そんなことばかり考えていたんです。しかし、その日から問いは変わりました。「どうすれば、未来を描く力をつけられるだろう?」。

40歳を過ぎ、心に火が灯るとともに、ようやく本当の意味での勉強が始まりました。

全ての人の心に火をつけたい。オラクルを退社して見えた「本物の夢」

オラクルを退社して6年、教育に携わりたい想いが芽生えた私は今、「心が強くて優しいリーダーをたくさん育てる」「全ての人の心に火をつける」というミッションを掲げて、3つの活動をしています。

一つ目は、コーチング。二つ目は、「シリコンバレー教育研究会」というコミュニティの運営。そして三つ目は、「きっかけバンク」というメディアの展開です。

これらの活動は、トライアスロンによって心に火がつき「人生の問い」と向き合うようになってからの10年間、

「本当にやりたいことは何か?」
「どうしたら考える力がつくか?」
「今できることは何か?」

という問いと、向き合い続けてきた結果、ようやく形になったものです。

途中、しんどい思いもしてきましたが、会社を去った決断を後悔したことは一度もありません。それどころか、退職は人生最高の選択の一つでした。

ミッションへの強い思いを胸に、これからも「人生の問い」と、向き合い続けていくつもりです。

取材・文/一本麻衣
twitter: https://twitter.com/Ichimai8

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