「当たり前」や「普通」を疑う視点を持つ

今日のまとめ
「当たり前」や「普通」と
信じていることを
疑ってみる

先日、3年前の今日の自分の日記を振り返っていて、当時「当たり前」のように使っていた言葉に強烈な違和感を感じました。その言葉とは、当時向き合っていた小学生の子どもたちに対して「指導」という言葉を使っていたこと。なんと上から目線の言葉なのかと。今私の日常生活や仕事において「指導」という言葉を使うことは一切ありません。だから自分が3年前使っていたことに驚きました。

しかし考えてみると学校で教えるべき基準が「学習指導要領」で定められているわけで、「指導」という言葉が当然のように使われていたのです。

私は「当たり前」とか「普通」とかいう言葉を使うことは26歳でシリコンバレーに来てからほぼなくなりました。日本で生まれ育ち、培ってきた自分の「当たり前」や「普通」がシリコンバレーではまったく当たり前でも普通でもなかったことに気が付かされたからです。

日頃「当たり前」「普通」「当然」だと思っていることに疑問を呈してみるのは新たな気付きを得るのにとても有効だと私は思います。

しかし、他者との関係性においては相手が当たり前と思っていることに対して、いきなり疑問を投げかけると相手によっては関係性を壊してしまうかもしれません。充分な信頼関係ができた上で、相手の価値観を充分認めた上で、許可を求めて問いかけてみるのが良いのかなと。
私はそのステップを踏まないで疑問を呈してとんでもない目にあった過去があるので。今後の教訓です😆

冒頭に紹介した本は、カンブリア宮殿にも出られた工藤先生。何度か講演の様子も拝見しましたが、いつも当たり前を疑い、「大目的に立ち返る」という表現をされて、そもそも何のためにしているのかを考えることを組織に徹底されていました。また組織の人とのコミュニケーションにおいて言葉をとても慎重に選ばれているというのがとても印象的でした。

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