悟りを開いた生き方の三つの側面・①抵抗しない

今日のまとめ
真の自由を手に入れるための考え方
①抵抗しない
「ほう、そうか」と受け容れる

悟りとは何か。お坊さんのお友達と先日会話をしました。もし、言葉で説明できるようなものなのであれば、誰かがすでに説明しているだろうから、たぶんできないのだろうという話をしました。私の浅はかな知識からすると、聖書や仏教の経典、様々な読みつがれている古典などには悟りのエッセンスが散りばめられているのだと思います。どうしたら万人に分かるように言葉で伝えられるかを試行錯誤している。だからいろいろな表現がある。同じ言葉で書いても、受け止め方は人それぞれ違うから、1つの表現で伝えられないのかなと。

そんな中で、この本で紹介されていた「悟りを開いた生き方の三つの側面」というのは、今の私にとってとても腑に落ちるものでした。その三つとは、

①抵抗しない
②判断しない
③執着しない

です。一言でまとめたら、このブログでも繰り返し使ってきた「あるがままを受け容れる」ということなのかと私は思います。

抵抗しない例として、すごいエピソードがこの本で紹介されていました。

「ほう、そうか?」
 日本のある町に白隠という禅の老師が住んでいた。彼は人々の尊敬を集めており、大勢の人が彼の教えを聞きに集まってきていた。あるとき、寺の隣の十代の娘が妊娠した。怒り狂った両親に、子どもの父親は誰だと問い詰められた娘は、とうとう白隠禅師だと答えた。両親は激怒して白隠のもとに怒鳴り込み、娘は白状したぞ、お前が父親だそうだな、となじった。「ほう、そうか?」と答えただけだった。
 噂はまちじゅうどころか近隣の地域にまで広がった。禅師の評判は地に堕ちた。だが禅師は意に介さなかった。
<後略>

ニュー・アース Kindle版
エックハルト トール (著), 吉田 利子 (翻訳) 

この話にはこの後の顛末があるのですが、それは本書をお読みください😊そして本書は以下のように続きます。

 禅師は偽りにも真実にも、悪い知らせにも良い知らせにも、「ほう、そうか?」とまったく同じ対応をした。彼は良くても悪くてもいまという瞬間の形をそのまま認めて、人間ドラマには加わらなかった。彼にとってはあるがままのこの瞬間だけがある。起こる出来事を個人的なものとして捉えない。彼は誰の被害者でもない。彼は今この瞬間に起こっている出来事と完璧に一体化し、それゆえに起こった出来事は彼に何の力も振るうことができない。起こった出来事に抵抗しようとするからその出来事に翻弄されるし、幸福か不幸かをよそから決められることになる。

ニュー・アース Kindle版
エックハルト トール (著), 吉田 利子 (翻訳) 
「あるがままのこの瞬間だけがある。」

あるがままのこの瞬間を受け容れ、抵抗しない。抵抗しようとするから、その出来事に意識を翻弄される。

まず、今のこの瞬間をあるがまま受け容れる。そして今この瞬間、自分はどう在りたいのか、何をしたいのかを考える。そんな「今」を積み重ねていく生き方をしたいと思いました。

心がざわざわしそうになっても、「ほう、そうか😊」と心で唱える。白隠禅師のことを思い出す。そんな在り方でいたいものです。

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